よみびと第三集
2019年1月31日発行 単行本サイズ
子規・最後の旅 ~前編~
序 正岡 明(正岡子規研究所長、子規末裔)
私が生まれ故郷の阪神間の伊丹市から奈良へ転居してきたのは平成の初めで、もう三十年にもなる。たまたま妻が奈良出身というだけで、私にとっては知人もおらず、ほかに何の縁もない土地であった。阪神間と比べると随分田舎に感じられ、町の店舗も夜 時にはほとんど閉まってしまい、寂しい所へ来てしまったと初めはいささか後悔した。ただ、周辺の自然の素晴らしさには大いに心が動かされた。元々植物が好きでその道に入ったし、最も確かで信じられるものは自然であるという思いがあった。 拙宅はすぐ背後に白毫寺という古刹を控え、高円山の裾野に連なっている。この辺りに天智天皇の第七皇子、志貴皇子の離宮があったと言われている。
高円の野辺の秋萩いたづらに 咲きか散りたむ見る人なしに
悲劇の皇子と言われる志貴皇子を偲んだ万葉集の名歌で、萩の寺として知られる白毫寺の境内にその歌碑がひっそりと据えられている。 その東側に隣接して、春日山原始林が広がっていて、一帯が濃い緑の照葉樹林に覆われている。その御蓋山の頂上に、その昔、茨城県の鹿島神宮から白鹿に乗った神が降臨したという言い伝えがあり、全体が神秘的な神の山として守られている。
〜本誌より一部抜粋