会期 令和元年8月15日(木)~17日(土)
会場 国指定重要文化財 萬翠荘(愛媛県松山市)
2017年、正岡子規と夏目漱石の生誕150年を記念した展覧会「至芸の邂逅展」を松山市の子規記念博物館と萬翠荘の2か所で開催しました。全国の芸術家による多種多彩な美術作品や、愛媛県の伝統工芸品に指定されている桜井漆器の和盆に揮毫された文学作品を展示するとともに、子規・漱石などの遺品および子規の叔父で、外交官であり松山市長を務めたことでも知られる加藤拓川が当時の政治家や文化人たちと交わした書簡なども展示されました。
そしてこのたびの「新天皇即位・新元号改元記念 至芸の邂逅展2019」は、新天皇即位と令和への改元を記念したものです。「至芸の邂逅展」をさらに発展させ、子規・漱石という日本を代表する文化人の功績を顕彰しつつ、現代の創作者の芸術・文学を発表することを目的として開催するにいたりました。
正岡子規と夏目漱石が、それぞれ『子規』『漱石』という号を用いはじめたのが1889年です。それから平成元年でちょうど100年、そして令和元年で130年になります。加えて、会場となった松山市も明治22年12月に市政が施行されており、令和元年に市政130年の節目を迎えています。松山市では市政130年を機に新しいまちづくりの機運を高め、次世代へとはばたこうと、「温故知新」をテーマとしてさまざまな記念の取り組みを実施しているところです。また本展の会期とした8月中旬は、松山市内中心部近くに位置する、日本最古の温泉「道後温泉」への観光客が最も多く訪れる時期でもあり、開催場所、時節ともに新しい時代を慶賀するにふさわしい展覧会になることが期待されておりました。
現代アート・文学作品と子規・漱石ゆかりの資料の共演
本展の会場となった萬翠荘は、大正11年に旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(さだこと)伯爵が別邸として建設したものです。陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの純フランス風洋館で、太平洋戦争の戦禍を逃れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建物です。会場となった「謁見の間」「晩餐の間」は、貴賓室として使用された部屋です。前者は白を基調として華やかな雰囲気が、後者は黒を基調として重厚な雰囲気が醸し出され、鑑賞者を往時に誘います。またこの敷地は松山藩の家老屋敷の跡地で、漱石が松山中学の英語の教師として赴任した際に下宿していた「愛松亭」のあったところでもあり、子規や漱石と深いゆかりのある場所です。
会場には、絵画、書道、工芸などのアート実物作品や詩歌作品を加飾したステンドグラス盾などのほか、アートや詩歌作品をカレンダーとして制作した改元記念令和カレンダーを展示しました。また展覧会の監修者であり、子規の末裔で正岡子規研究所を主宰する正岡明氏にも来場いただき、氏所蔵の、漱石が英国ロンドンから子規に宛てた絵はがき、子規の叔父で晩年に松山市長を務めた加藤拓川が子規に宛てた書簡、拓川が松山城で皇太子時代の昭和天皇を案内する写真なども展示しました。
この日は台風と言われていたにもかかわらず、幸いそれほどの悪天候にはなりませんでした。夏休みやお盆期間と重なっていたこともあり、会場には多くの来場者の姿が見られ、子規や漱石ゆかりの貴重な資料と、それと対照的に新時代を象徴する幅広いジャンルのアート作品の共演を飽きることなく鑑賞し、堪能していました。ときに顔を近づけたり、写真におさめたりと、数々の芸術作品から受けた感動をより深く味わおうとする様子が印象的でした。国内外の幅広い世代が芸術に触れ、感性を刺激される空間をつくりあげることができたと考えております。
また最終日となる17日には、会場の萬翠荘付近にある大街道で、高校生の俳句日本一を決める「第22回俳句甲子園」が開催され、にぎわいを見せていました。また本展の様子は、地元・愛媛新聞社によって取材され、同紙の記事に紹介されています。
本イベントを成功のうちに収めることができましたのは、本展の趣旨にご賛同くださり、作品を出展くださいました創作者の皆さまはじめ、ご後援いただいた愛媛新聞社とあいテレビの皆さまのおかげでございます。心より感謝いたしますとともに、厚く御礼を申し上げます。
これからも私たち国民みらい出版は芸術・文化の発展に尽力してまいる所存です。皆さま方のさらなるお力添えを賜りますようお願いいたします。また皆さま方のさらなるご発展、ご健康を切にお祈り申し上げます。