会場:宮城県柴田郡村田町歴史みらい館前
会期:2015年4月11日(土)

■国内初の日本芸術石碑設置プロジェクト
 過去二度にわたり弊社は独自の理念の下、日本の短詩型文学作品と書作品を半永久的に残る石碑という形で、台湾の大学のキャンパス内に設置してまいりました。今なお、その石碑は日本語学科の学生中心に活用され、日台両国の親交の証として広く知られております。
 しかし、この度の第3回目の設置を国際友好目的の海外から国内へと舵をきった理由は、弊社の活動方針のひとつの大綱である「こどものみらいをつくる」ためには、こどもたちに日本の伝統的な言語文化にふれる機会をひとつでも多く設ける必要があると考えたからにほかなりません。この詳細は、後に記載されております小社代表・小林の言葉をご参照ください。
 かくして、国内初の芸術石碑設置に向けて候補地選びが始まったわけですが、海外以上に設置場所の選定は難航しました。設置場所の土地を提供し、長きにわたりその占有を受諾するには、文学や書道の文化に対する価値を真に理解し、経済効率度外視で石碑を受容してくれる懐の深さが必要となるからです。

■東北のまほろば 村田町
 その多くのハードルをものともせず、国内初の日本芸術石碑設置プロジェクトを受け入れてくださったのが、宮城県村田町です。村田町にはヤマトタケルが現世を去り、白鳥となって舞い降りた土地という伝説があり、真に秀でた地「まほろば」と謳われています。
 その村田町が芸術石碑設置に提供してくださったのが、城山公園遊歩道です。城山公園と隣接する歴史みらい館は村田町が「温故知新」にならい、“生涯学習ゾーン”と位置づけており、伝統的言語文化の再認識を目指す本プロジェクトにこれ以上適した場所はありません。
 また、城山公園は由緒ある村田城跡につくられた村田町最大の公園で、多くの町民が集う場所でもあります。石碑設置の直前には舗装工事も完了し、車椅子での入園も容易になり、老若男女問わず、ますます住民の方々に身近な存在となりました。

■来賓と出展者でにぎわう記念式典
 4月11日石碑設置記念式典当日は、小雨が降ったりやんだりをくり返し、お世辞にも恵まれた天候ではありませんでした。にもかかわらず、村田町からは佐藤英雄町長をはじめたくさんの来賓の方々がお集まりくださいました。また、宮城県・福島県・岩手県など地元を中心に、遠くは愛知県や奈良県から出展者の方々もお越しくださり、悪天候も吹き飛ばす大変なにぎわいを見せました。そのような貫禄のある方々が並ぶなか、石碑に刻む言葉に選ばれた村田町の中学生から大学生(出展時、小学生から高校生)の4名の生徒たちの初々しさは一際目を引き、出展者の方々がバトンを渡す次世代の代表者として、温かい眼差しが会場のあちこちから注がれていました。
 主催者の挨拶に続き、佐藤英雄町長、斎藤万之丞議長の祝辞をいただき、出展者代表の佐藤松子様のご挨拶、正岡子規研究所主宰である正岡明氏のご挨拶(当日欠席のため代読)が披露されました。ここでは一部抜粋になりますが、紹介させていただきます。

■今後の「みらいにつなげる言葉」
 記念式典翌日は、前日とは打って変わって雲ひとつなく晴れ渡り、芸術石碑はまぶしいくらいに陽の光を照り返していました。この日は毎年恒例の花見を愉しもうと、多くの人たちがひっきりなしに石碑が設置された遊歩道を行き来され、突然現れた芸術石碑群を興味津々にのぞきこんでいました。花見だけでなく、日課であるウォーキングを楽しむ人、デートするカップル、犬を散歩させる人、目的はそれぞれ違えど、皆一様に熱心に眺めていました。その様子から鑑みますに、この町ではこれから皆様がつくられた「みらいにつなげる言葉」たちが活躍する場がきっと巡ってくるのだと確信いたしました。その一助となるよう遊歩道の入り口に立てた説明文を全文紹介します。

石碑設置について
城山公園二〇周年の佳節にあたり未来につなげる
言葉として、全国の秀逸な詩歌並びに書道作家と
村田町の小学、中学、高等学校選出の詩歌を
石碑に刻みここに寄贈する
伝わるところ村田は、日本武尊東征の拠点
源義家有縁の地であり、山形、仙台方面への要衝の
地であることを鑑み、現代の「奥の細道」とも捉え、
子々孫々に、成長と幸福、地域の発展を祈り伝える
その礎となる文学交流の石碑をもって
記念とする
村田町殿
二〇一五年四月 国民みらい出版

  
■最後に
 この度の式典の様子は4月13日に「河北新報」で報じられ、夕方には「yahooニュース」でも配信されました。翌14日には「毎日新聞」でも取り上げられ、それをご覧になった方々も現地に足を運んでくださいました。
 結びといたしまして順序は前後いたしますが、弊社代表小林の式典での挨拶を紹介させていただきます。弊社の活動指針ならびに本プロジェクトの目指すところをくみ取っていただければ幸いです。ご出展者皆様のご協力を心から感謝申し上げます。

[日本芸術石碑設置プロジェクト実行委員会]

祝辞

佐藤英雄【村田町町長】様

 本日は、みちのく宮城の小京都、蔵の町村田へようこそお越しくださいました。「みらいにつなげる言葉」石碑設置記念式典が、村田町城山公園にて開催されますことに心よりお祝い申し上げます。
 ここ村田町は旧石器時代からの人の営みが確認されるほか、古墳時代のものでは前方後円墳の愛宕山古墳が確認され、県指定文化財になっております。また、日本書紀に端を発します白鳥神社にまつわる白鳥伝説や、前九年の役にて窮地の源義家を救ったといわれる蛇藤伝説が今日まで語り継がれております。
 長徳元年(995年)には宮中歌会において歌人・藤原実方が藤原行成に論争で敗れ、天皇から「みちのくの歌枕を見て参れ」として左遷され、多賀城の国府に向かう途中、村田町と柴田町の境、憚りの関を通り歌を詠んだとされており、歌碑が立てられた地でもあります。さらに奥州街道があり、「奥の細道」で松尾芭蕉が通った地でも有名です。
 設置場所の城山公園は、室町時代から江戸時代にかけて領主が館を構えた場所であり、現在は城跡として、曲輪、空堀、堀切、土塁の遺構が残り、多くの植栽が四季折々の彩を見せ、特に今の時期は桜の花見が楽しめ、町民が憩い、集うところになります。
 また、公園から見下ろす町の中心部には昨年国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された商家町があり、本町ではこの歴史的・文化的に価値の高い建造物群を次世代へ継承しようと努めており、同時にこの特性を生かしたまちづくりを進めております。
 この度の「みらいにつなげる言葉」のプロジェクトにより、この地に全国より著名な作家様の詩歌や書の作品が刻まれた芸術石碑が設置されることは、「見て、調べて、発表する」生涯学習の充実に資するものになり、今後多くの方が来町され、町の歴史・文化・芸術の振興や地方創生に向けた地域間交流の促進につながるものと、大いに期待をしております。
 このような貴重な石碑群の寄贈に尽力してくださった国民みらい出版様ならびにご出展された作家様方に感謝申し上げ、芸術石碑設置により城山公園一帯がますます交流する拠点、未来につながる拠点になるように努力していくことをお約束いたしまして、お祝いの言葉といたします。

斎藤万之丞【村田町町議会議長】様

 本日は村田町にお越しくださいまして、ありがとうございました。現在城山公園は、桜も満開で、公園の反対側には真っ白な秀峰蔵王も望む、素晴らしい場所であります。
 国民みらい出版様ならびにご出展者様におかれましては、「みらいにつなげる言葉」石碑設置記念式典が盛大に挙行されますこと、誠におめでとうございます。村田町はかつての仙南の商業活動の中心地でもあり、仙台・山形を結ぶ交通の要衝の地でありました。
 時を経ました現在も、東北自動車道村田IC・山形横断自動車道村田JCTにより、仙台市・山形市・福島市と県庁所在地が30㎞圏内で結ばれており、車社会において交通の結節点に村田町は位置しております。その目と鼻の先に村田町歴史みらい館とこの城山公園が隣接いたしております。
 その城山公園にこのような格式ある芸術石碑を設置されますことは、村田町のみならず近隣市町の方々にとりましても、憩いの場として、さらには自然とふれ合いながら日本語の素晴らしさを再発見できる空間になることと確信いたしております。
 また城山公園には、村田町出身の彫刻家・故吉田正彦氏の石の彫刻作品も多数設置されておりますので、相乗効果も期待されるところであります。今後の公園活用においても大きな付加価値がつき、歴史・文学・芸術の公園としてさらなる充実を願っております。そして今年は町制施行120周年および町村合併60周年という節目の年にあたり、新たな1ページが記されることになり、大きな喜びを感じております。
 出展者の皆様におかれましては、村田町とご縁ができましたことにより、ここ村田町を第二のふるさとにしていただき、いつでもお越しいただきたいと思います。本日ご臨席の皆様のご健勝とご多幸をご祈念申し上げまして、村田町議会を代表いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。

佐藤松子【村田町在住短歌作家】様

 私はここ村田町に生まれ、80年以上村田町に住んでおります。村田町は自然災害も少なく、人柄も田舎特有の穏やかさがあり、住む場所といたしましては最高なのではないでしょうか。
 その村田町の城山公園の遊歩道に、日本の美しい言葉を刻んだ石碑が並ぶというこの度の催しは、古き良き日本の文化を後世に残すという意味でも、非常にすばらしいことだと思います。その中に私の歌が入ることに関しましては恥ずかしくもありますが、大変光栄なことだとも感じます。
 城山公園は今まで通り住民が遊び、羽を休める場所でありますけれども、石碑設置によりまして学べる場所という要素が加わり、新しい名所になることを一住民としては期待しております。

正岡明【正岡子規研究所所長】

 村田町におきましては、古くはヤマトタケルが白鳥の化身となって舞い降りたという古事記ゆかりの地であり、江戸時代以降は松尾芭蕉をはじめ多くの文人墨客が訪れております。近代には、正岡子規も芭蕉の足跡を辿り、「はて知らずの記」と称して、福島から仙台への道中、近くを通ったのではないかと想像されます。このような歴史と文学に深い関わりのある地に、詩歌や書の石碑を設置できましたことは誠に意義深いことであります。
 一方、現代におきましては、一度に膨大な量の情報を処理するパソコンやスマートフォンの急速な普及により、本来の日本語の奥深さや文字の美しさなどが見失われつつあります。今後、スピード重視で進化してゆく情報端末を扱っていかざるを得ない若い人たちに、少し立ち止まって詩歌や書に親しんでもらい、その魅力を体感し、その価値を再認識してもらうことは、非常に大切なことであると考えます。
 芸術石碑の設置により、村田町が歴史と文化の町としてますます発展されることを心より祈念しつつ、お祝いの言葉とさせていただきます。

 皆様のご挨拶をいただき、記念撮影、テープカット、除幕と滞りなく式典は進み、出展者の方々の作品が刻まれました芸術石碑が正式にお披露目されました。式典終了後も、来賓の方々、出展者の方々、村田町の生徒たちとのジャンル・世代・土地を越えた意見交換や交流は続き、そこには“伝統的言語文化のまほろば” とも言える舞台ができあがっていました。

小林義隆【国民みらい出版代表】

 弊社では過去に、日本の伝統文化である短詩型文学と書道の魅力を伝えることと、東日本大震災での多額の義援金への返礼という目的で、2012年と2013年に台湾高雄市にある日本語教育に力を入れている大学に石碑を寄贈してまいりました。この度、3回目を催すにあたり、海外から国内に変更したのにはひとつの理由があります。
 弊社が活動指針の大きな柱とする「こどものみらいをつくる」事業を展開するにあたり、小学校から英語やダンスなどの科目が増えることは話題になりましても、2008年に小中学校の「学習指導要領」が改訂され、国語科に「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」が加わり、短歌や俳句が推奨されていることはあまり知られておりません。美術とともに詩歌の魅力を世に伝えることを理念としている弊社が、今後実現するべき挑戦のひとつだと判断し、今回「日本芸術石碑設置プロジェクト」として初めて日本国内に芸術石碑を設置することにいたしました。
 石碑設置に至るまで、佐藤英雄町長はじめ村田町町議会、役場、教育委員会、歴史みらい館、学校関係の皆々様には多大なるご協力をいただきました。心より御礼申し上げます。おかげさまで本日、記念式典を無事迎えることができました。
 こどもの教育に力を入れていらっしゃる村田町とはかねてよりご縁がございました。「こどものみらいをつくる」事業のひとつ、『美術ぷらす 2015』を今年2月に発行いたしました。その号で、村田小学校6年生全員の創作体験学習の様子を取材させていただきました。ものをつくっているときのこどもたちの生き生きとした表情は忘れられません。
 その村田小学校のこどもたちをはじめ多くのこどもたちが、ご出展された方々の俳句・短歌・川柳・書道を刻んだ石碑を、この先もずっと目にしていくということは、創作者のみなさまが学び、経験したことを次の世代に伝え、可能性を未来につなげることにほかなりません。このような意義のある石碑が設置できましたのも、ご出展された皆様の素晴らしい作品があって実現したものです。最後に、ご出展者皆様にも改めて御礼申し上げます。

村田町ご来賓

佐藤英雄 町長 
柴田隼人 副町長 
斎藤万之丞 町議会議長
髙橋郁夫 教育委員会教育長
佐々木安彦 歴史みらい館館長
早坂雅彦 村田小学校校長
栗和田建夫 村田第二小学校校長
髙橋長浩 村田第一中学校校長 
大内啓邦 村田第二中学校校長
大沼博之 村田高等学校校長