2022年4月1日発売
価格 1,200円
ISBN : 978-4-99129101-1-2

2021年10月末日発売
価格 1,200円
ISBN : 978-4-99129101-0-5

〈文〉正岡 明/樹木医。正岡子規研究所長、 (財)虚子記念文学館理事

【シベリア編】カラマツの原野

 横浜港からソビエトの客船、ハバロフスク号に乗り込んでナホトカ港に向かったのは私が三〇代後半の一九八三年九月だった。当時、若者によく読まれた『青年は荒野をめざす』という五木寛之の小説に触発された面もあったが、七年間勤めた造園会社のハードな仕事に心が疲弊し、一度充電したかったのと、ヨーロッパの文化に接し街並みや庭園、美術に触れ、何よりも異国の人々の生活を垣間見たかった。
 いわゆるバックパッカーという出で立ちで、全く予約なしの安宿を泊まり歩く、自由な放浪のひとり旅であった。一一一日間十数ヶ国巡ったがその間、三つの戒律を己に課した。一、日本食を食べない。二、タクシーに乗らない。三、飛行機に乗らない。三つ目はパリから帰国したときだけ守れなかったが、全工程を船と鉄道と徒歩で巡った。我ながら若くて体力があったと思う。
 ナホトカから乗ったシベリア鉄道は鉄の塊のような重量感のある列車で、四人用の寝台のコンパートメントに日本人の男女の学生と中年の船員のドイツ人女性と半月近く同室になり、意気投合し非常に親しくなり、つき合いは現在も続いている。
 さて、列車はモスクワへ向かって何日もシベリアの原野を走り続けるのだが、どれだけ進もうとも車窓からの景色は変わらない。それはタイガというシベリア独特の森林で、その大半がカラマツである。ちょうど黄葉期で一面、陽光を浴びた黄金の海が延々と続き、そのなかにシラカバの白い幹がリズムよく混在し、息を飲むような美しい景色は何日見続けていても飽きることはなかった。
 カラマツは「落葉松」ともいい、針葉樹には珍しく落葉する。その落葉が敷きつめられた大地も黄金の絨毯という感じで、日本では多くの詩人の心を捉えている。
 〝からまつの林を過ぎてからまつをしみじみと見きからまつはさびしかりけり〟これは北原白秋の詩だが、あまりの美しさゆえに悲しみが潜んでいる。このシベリアのタイガも、やがて極寒の地となり、地中は永久凍土となる。春夏にはそれがとけ出して、その水でカラマツはよく育つらしい。
 モスクワから北欧に入り、南下してドイツ、オーストリア、フランスなどを巡り、芸術の渦巻く街パリには半月も滞在して新旧アートの洗礼を受けた。ルーブルも圧巻だが、現代アートのポンピドゥー・センターは建物の外観もフランスのエスプリのきいた巨大芸術品のようで魅せられた。イタリア、スペインと南下するほどにラテン特有の猥雑な活気に溢れていておもしろい。バルセロナのピカソ美術館では彼の初期の具象のデッサン力には驚嘆。しっかりした基礎の上に抽象画が開花していることに気づかされた。
 西洋は絵画も建築も庭園もキリスト教文化がバックボーンとしてあり、その異文化へのカルチャーショックが旅の醍醐味で感動の連続ではあったが、長く接していると何故かその血塗られた歴史が影を落とす激しさと濃さに疲れてしまった。帰国後は逆に日本画や俳句など、いわゆる「間」の日本文化に惹かれ、西洋での体験が日本を見直す契機となったのは旅の大きな収穫でもあった。

〈文〉正岡 明/樹木医。正岡子規研究所長、 (財)虚子記念文学館理事

【シベリア編】カラマツの原野

 横浜港からソビエトの客船、ハバロフスク号に乗り込んでナホトカ港に向かったのは私が三〇代後半の一九八三年九月だった。当時、若者によく読まれた『青年は荒野をめざす』という五木寛之の小説に触発された面もあったが、七年間勤めた造園会社のハードな仕事に心が疲弊し、一度充電したかったのと、ヨーロッパの文化に接し街並みや庭園、美術に触れ、何よりも異国の人々の生活を垣間見たかった。
 いわゆるバックパッカーという出で立ちで、全く予約なしの安宿を泊まり歩く、自由な放浪のひとり旅であった。一一一日間十数ヶ国巡ったがその間、三つの戒律を己に課した。一、日本食を食べない。二、タクシーに乗らない。三、飛行機に乗らない。三つ目はパリから帰国したときだけ守れなかったが、全工程を船と鉄道と徒歩で巡った。我ながら若くて体力があったと思う。
 ナホトカから乗ったシベリア鉄道は鉄の塊のような重量感のある列車で、四人用の寝台のコンパートメントに日本人の男女の学生と中年の船員のドイツ人女性と半月近く同室になり、意気投合し非常に親しくなり、つき合いは現在も続いている。
 さて、列車はモスクワへ向かって何日もシベリアの原野を走り続けるのだが、どれだけ進もうとも車窓からの景色は変わらない。それはタイガというシベリア独特の森林で、その大半がカラマツである。ちょうど黄葉期で一面、陽光を浴びた黄金の海が延々と続き、そのなかにシラカバの白い幹がリズムよく混在し、息を飲むような美しい景色は何日見続けていても飽きることはなかった。
 カラマツは「落葉松」ともいい、針葉樹には珍しく落葉する。その落葉が敷きつめられた大地も黄金の絨毯という感じで、日本では多くの詩人の心を捉えている。
 〝からまつの林を過ぎてからまつをしみじみと見きからまつはさびしかりけり〟これは北原白秋の詩だが、あまりの美しさゆえに悲しみが潜んでいる。このシベリアのタイガも、やがて極寒の地となり、地中は永久凍土となる。春夏にはそれがとけ出して、その水でカラマツはよく育つらしい。
 モスクワから北欧に入り、南下してドイツ、オーストリア、フランスなどを巡り、芸術の渦巻く街パリには半月も滞在して新旧アートの洗礼を受けた。ルーブルも圧巻だが、現代アートのポンピドゥー・センターは建物の外観もフランスのエスプリのきいた巨大芸術品のようで魅せられた。イタリア、スペインと南下するほどにラテン特有の猥雑な活気に溢れていておもしろい。バルセロナのピカソ美術館では彼の初期の具象のデッサン力には驚嘆。しっかりした基礎の上に抽象画が開花していることに気づかされた。
 西洋は絵画も建築も庭園もキリスト教文化がバックボーンとしてあり、その異文化へのカルチャーショックが旅の醍醐味で感動の連続ではあったが、長く接していると何故かその血塗られた歴史が影を落とす激しさと濃さに疲れてしまった。帰国後は逆に日本画や俳句など、いわゆる「間」の日本文化に惹かれ、西洋での体験が日本を見直す契機となったのは旅の大きな収穫でもあった。

2022年4月1日発売
価格 1,200円
ISBN : 978-4-99129101-1-2

2021年10月末日発売
価格 1,200円
ISBN : 978-4-99129101-0-5