〈文〉正岡 明/樹木医。正岡子規研究所長、 (財)虚子記念文学館理事

【奈良編】(1)老杉は残った

 倭は国の真秀ろばたたなづく青垣山籠れる倭しうるわし――
 古事記の中の有名な歌であるが、三輪山の麓から日本最古の道・「山の辺の道」が北へ伸び、背後に「青垣」すなわち青い垣根のように小高い峰が連なっている。その北端に控える春日山原始林は神の杜・春日大社の鎮守の森で、日本三大原始林の一つである。平安時代に伐採禁止令が敷かれて以来、千年以上手つかずの森として守られてきた。神域なので、自然遺産ではなくこの森が文化遺産として、世界遺産に登録されたというのも珍しい。標高500メートル弱の花山の頂上近くに、この山の主と言われる巨大な「大杉」が鎮座している。
 2003年の6月にこの杉のてっぺんに雷が落ちた。夜も更けて消防車のサイレンの音が山にこだましているので外へ出てみると、山の上にぼおっと鈍い炎が見え、巨大なろうそくが立っているようだった。一晩中燃えていたのでなかろうか。
 翌朝、樹木医として興味があり、県の公園事務所に様子を聞きに行ったら、運よく今出かけるところだからと、ジープに乗せられ山道を走り現地に向かった。下車し、急斜面の道なき道を尾根伝いに登っていくと、樹林の中に急に巨大な杉が立ち現れた。幹の周囲は十メートルもあろうか。人が5人くらいで手を繋いで抱えられる太さだ。根元の洞からまだ煙が吹き出していた。ということは上まで内部が空洞で煙突状になっており、よく燃えるはずだ。木は内部が腐って欠落しても、外側の皮の部分だけで生きられる証拠である。
 上を見上げるとほとんどの枝は枯れて白骨化しており、地上10メートルのところにある一本の枝だけ緑の葉をつけていた。まだかろうじて生きているのだ。それにしても水も得にくいこのような尾根筋の急斜面で、千年近くもよく生き続けられたものだ。
 しばらくして県は枯れ枝が落下して危険なので伐採する方針にした、との情報が入る。まだ生きているのに、その上このエリアで最大最長老の神杉が切り倒されてなるものかと、私は県内樹木医の有志に呼びかけ、県に要望書を提出した。春日の森は立ち入り禁止になっているし、万一枯れ死してもその場で朽ち果てることが生態系に敵っているとの見解が認められ、保存が決定した。
 私は最初に駆けつけた時に、落下した小枝を持ち帰り、数本挿木して育てた鉢植えを先日、知り合った県の係の人に寄贈した。万一枯れた場合はその跡に後継樹として植えてもらえればよい。何しろ千年の遺伝子を持っているのだから。
 時々その大杉を見に行くことがあり、まだ一本の枝に青々と葉をつけているのを見上げ、「長生きせえよ」と太い幹を撫でて、山を下りるのである。